宿に戻ってパッキングをしている。近頃はだいぶうまくできるようになってきた。昼を回った頃に突然雨が降り出して、30秒位で止んだ。この街は夕方になると毎日雨が降るのだけど、時々昼間にも降るので、まるで街全体に打ち水をしたように涼しくなる。ぱっと降ってぱっと止む そんな雨が多いのだ。
この街に着いてからこれまでずっと頭痛・喉の痛み・下痢・だるさにに悩まされてきたけど、もう一段階回復が進んだみたいで、特にお腹の痛みはかなり少なくなってきた。どこで体調を崩す原因があったのか考えるけどイマイチわからない。たぶん小さな事の積み重ねだったのだと思う。
次の目的地と出発日が決まったので、午後になって先日お話して頂いた日本人の方に挨拶に行ってきた。雲行きが怪しく、雨が降ったり止んだりしているので、お店が比較的空いている。何故ここで商売をしているのか。どうやったら移住して上手くいくのかの秘訣。開高さんの話し等色々してくれた。そんなふうに過ごしていると途中雨が強くなってきて、雨宿りがてらのお客さんでお店が賑わう。天井がドーム状になっていて、低いところに集中して雨が落ちてくるので噴水が上から落ちてくるようだ。
しばらくして雨が小降りになってきたので、「いってきます。」と言ってその場を後にした。いつもなら賑わっているこの辺りが、商店街も公園も人影がまばらで、でも大雨で空気がすっかりキレイになって清々しく、いつもよりもゆっくり歩いて宿に戻った。
もどるとすぐに受付のお姉さんが話しかけてきて、支払っていた宿泊費が足りないとの事だった。1日40レアルなので80レアルほど払っていたのだけど、56レアルしか受け取ってもらえていなかったなかったのだ。なので足りない分を払ってくれとのこと。80-54=24なので、30レアル渡すと、「違う違う14レアルよ」と14と紙に書いて見せてくる。あれ?って顔を僕がすると、お姉さんが「計算するからちょっと見てて」と、14と書かれた紙で引き算して僕に見せてきた。
はちじゅうひくにじゅうよんは・・・・・ ん~~~ 24。 だわ。 と言いながら、うふ(笑)っと笑った。
世界中の貧乏バックパッカーを相手にしているだけあって、このお姉さんはキレ者なのだけど、時々こういうボケをかまして、ますますファンになってしまう。
「あら?24?」の、ニヤっとした顔と、普段の キリッ とした時とのギャップはとっても可愛いくて萌える。
夕方になりくし焼きを食べに外に出た。この間食べた屋台が夕方からもやっているのだ。味はそれほどでもないけど、一本1レアルと安い。赤身とハツを一本ずつ頼み焼き上がるのを待っていると、左手に包帯をした少年が近寄ってきて一本奢ってくれと言ってくる。1レアルあげると、どれが一番大きいか?と品定めしてハツを頼んでいた。
屋台の側には時々野良犬もおり、おこぼれがもらえないかと待っていて、少しちぎってあげると喜んで食べる。野良犬にしてみれば、確率が低いながらもおこぼれをもらえるかもしれない場所だ。日本と違って野良犬をよく見かけるんだけど、大半は皮膚病になっていて異様に痩せている。一匹づつの縄張りがどうなっているか分からないけど、こういった餌場や休憩するエリアでは何頭もいるのに特に喧嘩はしていない。
無闇にするのはよくないことなのだけど、じっと目を合わせると悲しそうな目をしてる。もしかしたら元は飼い犬だったのかもしれない。
そういえばこの辺りで何度か見かけた野良犬は何かをくわえて歩いていたけど、それは一目見て嬉しそうと分かる姿で、よくよく見てみると骨付きの鶏のモモ肉だった。見つけたその場で食べずに、それでいて盗られないようにしている風でもなかったので、きっと仲間か子犬でもいるのかもしれない。以前そんな場面に出くわしたのだけど、僕から見れば過酷極まりない状況の中で、あんなに嬉しそうにしている姿をするのだから、生きていさえすればどこでも幸せになれるのだと教えられる。
こういったタイミングでこんな事を書くと、人間と野良犬が同じ書き方されてる!と、怒る人もいるだろうけど、それは先の人と似ていて、一本でもくし焼きを注文さえすれば、用意されたお水とファリーニャが飲み放題・食べ放題になる屋台で、たった1レアルを誰かがくれればなんとか一食にありつけてしまう。そしてそこには悲壮感はないのだ。屋台ならどこでもあるファリーニャというツブツブした粉の様な食べ物は、レンゲ一杯分もあれば簡単に空腹が満たされるのだ。だからお金を一銭も持たない人がファリーニャを盗み食いに来たり、それを水で膨らませようと水もタダ飲みしようとする。屋台の人が コラ! と怒っても、目くじらを立てている程でもないのは、たまたま激しいところを見ていないだけかもしれにが、つまみみ食いをした子供を怒る程度のものなのだ。
もっと現実的なことを言うならば、このときのレートは1レアル50円位で、それだけで一食が賄えてしまう。それに日本における座布団みたいな感覚でハンモックを見かけるから、寝るのにベットや布団どころか床さえも必要ないし、市場周辺に行けば、マンゴー・オレンジ・スイカ・リンゴ・バナナがいくらでも落ちている。日本の様な寒さもないから着の身着のままで過ごせるのだ。実際に見ていない人からすれば僕がおごりたかぶってているように感じるだろうが、そういう現実もあるのだ。
今現在日本で一人暮らしをしていない僕は、こうして何日も一人で過ごしていると寂しさが募ってしまう。だけど楽しい事もあるし、小さな事でも心に響いてきたりもする。なぜならここには欺ける相手が誰一人いないのだ。何か理由をつけてダラけていると凄い速さで自分に帰ってくる。ちょっとの勇気で初めてに何かをした時の嬉しさや感動・人の繋がりに大袈裟なほどに嬉しくなったりとコロコロ変わる。自己の強くない僕には、それが辛く楽しいのだ。
まずは外見が動物園的な印象のエミリオ・ゴエルジ博物館。
博物館なので他にもいろいろあるんだろうけど、この時はかなりウツ(笑)だったので外の動物園的なところしか行ってません。
池に浮かんでるのが有名なオオオニバスですが、公園内のは大きくないです。残念!
運良くナマケモノが歩いているところに遭遇しました。知識として動くのが遅いのは知っているけど、想像以上に遅い!
町外れとはいえこんなのがあるんですからすごいですね~ でもフェンスとか見えちゃうと残念。
トイレもキレイだし地面も歩きやすいから、お散歩にはちょうどいいよ。
続いて市場。
正式にはメルカド・ヴェロペーゾと言います。
肉・魚・野菜・果物・ファリーニャ・お土産等が、エリア毎に別れています。
ここは加工肉を売ってるお店で、ぱっと見ヨーロッパなんかと区別がつきません。うまそ~~
このお米みたいのがマンジョーカ芋から作ったファリーニャ。
スープや肉・魚と一緒に食べて水分や脂分を吸わせると味が染みこんでおいしくなります。
これは市場内で食べたソパのお店の調理風景。おいしそうでしょ?
市場の横つーか入り口周辺。
この日は土曜か日曜だったのかな?人があまりいません。平日だとバスと人がうようよいて、露店もいっぱい出ます。
しかし汚いところは汚いし臭う。
ここは市場付近の街中。
昔汽車だか電車だかがが通っていたらしいけど、レールは外される事なく放置されてます。意外かもしれないけど、ブラジルは電車はあんまり発達してません。
ヨーロピアンな街並み。
マナウスの船着場は旅行者っぽい人が多いんだけど、ベレンは意外とそうでもない。街の雰囲気も物価も違うから、そういったところを探すのもおもしろい。
UPしている写真は一部なので、その内また載せます。
今日はいよいよ次の目的地に向けて出発だ。また夜中にベットを蹴飛ばして悶絶して目覚めたのだけど、何度も水道で冷やしていたので思った以上に腫れなかった。とは言えまだ指を曲げられないので歩き回りたくはないので、昼から空港に行く事にした。ココだったら特に何もないのでそうそう歩き回る事もないので安心だ。街にいたら、ついあっちこっちにふらついちゃうからね。
空港に着くといきなりマック的なお店でハンバーガーとコーラを注文して、待ち合いの椅子よりもまだマシな席に座った。安いチケットを買っているので出発まで12時間以上待つのだから、もう一回は何かしら食べるだろうけど、空港内は値段も高いし種類も少ないので何にしようかな~ なんて考えたりする。夜中に目覚めてからはろくに寝れなかったのでやけに眠い。食べ終わって長椅子に移動したからそのうち寝ちゃいそうだ。荷物がジャマなので先に預けたいのだけどさすがに早すぎてダメだったので、もうちょっと座り心地が良さそうな場所を探す。そうやってうろついていると日系の女性と目が合い、その人はこちらを見てにっこりとした。僕もなんとなく会釈しそこを通り過ぎる。そのまま進んで行ったけど何もない廊下しかなかったので戻ってくると、先程の女性が日本語で話しかけてきた。
「何かお手伝いしましょうか?」
僕はただ時間を持て余していただけなので、「あ、大丈夫です~」と 答える。
聞けばその女性は人を待っているそうで、これから家に戻るそうだ。
「よかったら家に来ませんか? 90歳になるおじいちゃんもいるんですよ」と 僕を誘ってくれたので、その人について行くことにした。リュックが邪魔だったので預けられる場所はないものかと尋ねると、空港内のロッカーに案内してくれたのでリュックを預け、大きすぎて入れられない手製バズーカ(水道管で作った釣竿ケース)だけ持ち、その足で二人で空港を出た。
「この時間はバスは混むからタクシーに乗りましょう」とのことで、 タクシーに乗りその人の家へと向かう。しばらく走って着いたそこは、カッチリとした門のある家だった。門とはいっても日本のそれとは違って乗り越える事が出来ない構造で、ほんの軒先にさえも外部からの進入ができないようになっている。イメージとしては牢屋の中に家があるといえば伝わりやすいかもしれない。
女性がチャイムを鳴らすと、先程話していたと思われるお爺さんが出てきた。僕は「初めましてセッキーと申します。」と おじぎをすると、「どうぞどうぞ」と 向かいいれられた。一瞬まるで夢でも見ているようだった。全く見知らぬ人の家に呼ばれて来ているのだ。まだ出会って数10分しか経っていないのにだ。室内に案内され冷たいお水を出してくれて、「くつろいでくださいね」といってくれる。なんだかほっとして一気に力が抜ける。
タクシーの中で自分の事を話していたので、女性はそれをお爺さんに伝えると、やさしい声でいろいろな事を話してくれた。50年前にブラジルに来た事。どんな風な事をしていたか。映画の様な昔話なのだけど、リアリティが全然違う。ものすごい生々しさだ。そして話を聞いているとこれまでにこの国で自分が経験して、疑問に思っていた事の答えがと分かってくる。一言で言うと「何故ブラジルでは日系人・日本人がこんなにも信用があるのか?」だ。そしてその恩恵を僕がどれだけ受けているのかなんて、想像出来ない程に大きい。
そうして語る目が、一目でわかる働き続けてきた人の手が、決して苦労をして来たと言わない強さと優しさ。ジャングルを開拓してきた話しや、今までして来た仕事の話。当時はまだなかったピラルクの・・・ ここでは書けない内容の話しは、聞いているだけでどんどん引き込まれ、まるで当時の景色が目の前にあるような錯覚にとらわれる。僕は今、日系移民の歴史の一端を見たのだ。
そして「疲れているでしょうから少し横になってください。」そう言って自然に僕をいたわってくれるのだ。察するとか空気を読むとかいうのではなく、自然に思った事を言っているのだろうけど、それだけで僕の凝り固まった心と体の疲れやが消えていく。そして案内された部屋でいつの間にか眠りについてしまった・・・・。